満身創痍の体で生かされております

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東京都 Oさま(93歳)
胃及び十二指腸切除、心筋梗塞、脳内出血、その他
ニワーナを摂取


明治44年福島県喜多市に生まれ、昭和7年警視庁、昭和20年内務省警保局、昭和23年福島県、その後警察庁等勤務、昭和40年東北管区局公安部長退官、以後昭和56年まで警察庁外郭団体に勤務、昭和57年秋勲4等旭日小綬章を受ける。


満身創痍の体で生かされております。 昭和51年、胃及び十二指腸切除、その後これがもとで、心筋梗塞・狭心症通院治療中、平成4年右上腕二頭筋腱断裂、平成5年11月高所から庭の石敷通路に転落し、脳内出血(右)、脳梗塞、第五、六頚椎損傷、第十一、十二肋骨骨折、腰椎圧迫骨折、股恥骨部打等で治療中ですが、寝たきりにならないよう努めている主なものは、次の通りです。

  1. 若いとき、よく山仕事を手伝った。汗びっしょりの母から「堪忍が大事、一日に一回は汗をかけ、苦労から逃げるな」と言い聞かされ、心に深く仕舞い込んで、今もこれを実行しています。
  2. 随時、いいイメージを描き、意識呼吸を行い、宇宙のエネルギーをもらっております。
  3. 原野の地平線から昇る日の出、または、木もれ日の丘等々を思い浮かべ、心の宝として、毎日セルフコントロールを行い、老化防止に努めています。

それにしても、体の調子がいいのはなぜだろう。それは、長い間「ニワーナ」を用いているせいであると信じざるを得ないのです。 万病のからだで、なお、耳も確かだし、めがねなしで新聞も読める。人様からは「血色が良い」と褒められる等、嬉しい限りです。 朝食3包、夕食前3包ずつ、用いております。
好き、きらいなく食べています。独り暮らしなので外食が多い。野菜と果物をとるように努めています。
殆ど毎晩、ビール瓶一本以内、又は、酒一合以内を守っております。

「自己治癒力の医学」 著者:P・ノリス・ポーター(監修:平松園枝/訳者:上出洋介/発行者:大坪昌夫) 「生き方上手」 著者:日野原重明(聖路加病院院長)

が愛読書。
皆さんも生活習慣病を克服するためにも、「ニワーナ」を用いてみてはどうでしょうか。


寝たきりにならない秘訣
老生、高所から庭の石敷通路に転落し、脳内出血、脳挫傷、第五・六頚椎損傷、第十一・十二肋骨骨折、脊髄圧迫骨折、股恥骨部骨折等の大けがをしたのです。 本年2月に退院しましたが、その後、メマイ・立ちクラミ、手・足のシビレ、動悸等頻発し、ことに、歩行中は目の前までが暗くなり、いまにもつんのめりそうになったのです。
毎日が憂うつで、不安、なにかに挫折した感じでどうにもしょうがない。そして、いらいらしながらの生活です。時に独り坐し、考え込み、気が滅入るばかり絶望のドン底に追い込まれ、病床六尺を選ぶ一歩手前だったのです。

第1の気づき、「自己治癒力の医学」(著者P・ノリス・Gポーター、監修者 平松園枝、訳者 上出洋介、発行者 大坪昌夫)です。その通り、その通りとうなずきながら夢中で読み続けました。
不思議なことに、この本を読んでいる間は、メマイもシビレも忘れ、疲れも感じない。不安感も飛んでいってしまうのです。よしがんばるぞと肩の荷がおり、何となく安心感がでてきたのです。そして、とくに心奥に触れる要所を抜粋し、自分なりにまとめ、別紙「老生心糧」と名付け、常にこれを読み、自らに言い聞かせ、自らを励まし、心の糧とし、やがて心の力となり、ともかく寝たきりにならないほうを選んだのです。

第2の気づき、観音様のイメージを描いたことです。近くの駅から自宅まで1キロ足らずの路を歩いて帰るのにメマイ、動悸等でどうにもならない。苦しい時の神頼み、わらをもつかむ気持ちで般若心経をとなえる。ほんの瞬間的にはいいのであるが、すぐ身体がフラフラする。
そうだ以前菩提寺で開眼供養してもらった掛け軸の観音さまに、毎朝、般若心経を唱え、礼拝している光景をイメージに描き、般若心経に続いて老生心糧を繰り返し高唱しながら歩く。どうですメマイも動悸も忘れ、いつの間にか家に着いている。観音様のご利益かそれともイメージの効果なのか。その両方であると信じている。以後、家路も楽しくなった。

第3の気づき、セルフコントロールです。ともかく、怪我が怪我だけに、治療に役立つよう私も加わることとした。頭、手、足のすみずみの毛細血管にいたるまで血液を送り込むすてきなイメージを描き、すなわちセルフコントロールに努めていることです。

老生心糧
例えば、血圧などの、意識的にはコントロールできない(と考えられていた)生理的現象に対し、意識的に働きかける。私たちの精神的態度が、脳の科学的態度に影響を与える。つまり、生きようという「意志」、病気を克服する「信念」こそが生理的結集を引き起こし、治療を促進する。 「心は脳にある」いわゆる知的な働きは、大脳皮質の中の新皮質の活動により感覚系による情報を知覚し、いっぽう運動系を介して随意的(意識的)に身体を動かす。
本能や情動に関する部分は、間脳とくに視床下部に関係し、生命の維持にかかわる内臓の中枢、すなわち、付随意神経といわれる交感神経と副交感神経からなる自律神経の中枢であり、さらに、脳下垂体を介してホルモン分泌をコントロールする中枢である。しかも、これらの神経は、お互いに関係しあっている。
身体には、恒常性を保とうとする性質があり、心―脳―肉体がすでにその維持方法を知っている。人間の潜在的可能性、つまり、人間の生長や病気を治療する力、変化をつくりあげる自然な能力、そして、私たちの内部で起こるすべてのことがらに対し影響を及ぼす力がある。身体や心がストレスを感じると大脳皮質が大脳辺縁や視床下部を介して交感神経を緊張させ、同時に脳下垂体を介していろいろなホルモンが分泌され、さまざまな身体反応を示し、これが慢性的に続くと、本来身体に備わっている恒常性が崩れ病気になる。
私たちが自分を病気にするのであれば、私たちが自分のを回復させることも明らかである。心身相関の病気があるなら心身相関の健康がある。「人が生きる」「生命力」「治癒力」の意志の働きに気づき、心と身体の相関関係に基づいて、人間の「生」という”科学よりも次元の高いもの”を統合的にとらえ、病気を見直すのである。

「病は気から」という、「心のありよう」「生きかたのありよう」が、治療の経過に大きな影響力をもつのです。
人間が心、精神(魂)をその中核にし、他社(人、社会、自然)との関係のなかでの存在である限り、それを通して、初めて、人間が「生きている」ということ、つまり「生命の実体」「生の意味」に迫ることができるのです。
人が、生と死の岐路に立たされた場合、決してあきらめずに、積極的な姿勢で生きることを選び、生まれながらにして備えている「自分で自分を治す力」を引き出す方法を考えるのです。 心、体、感情は一体であり、その一つに働きかけがあれば別の二つにも必ず作用が及ぶ。病気回復への信念と期待が人に生理的効果をもたらすように、生き方についての態度(心のかまえ)も、同様の効果を引き起こす。充実した気分と、積極果敢な態度には、一定の神経分泌と神経ホルモンがともなう。
病気に対し、「意志のはたらき」、そして、その実践方法としての「イメージ療法」は”自己治癒力”の原動力である。 イメージとは、広い意味では、五感を使って感知した”現実”以外のもの、すなわち、現実はそこに存在しないのに、頭の中に描かれたものをさします。
脳は、現実のものとイメージを区別できないので、いずれの場合でも大脳辺縁系や視床下部を介して、現実に対するのと同様の反応を起こさせる。 うれしいできごとを思い出す。口もとがゆるみ、気分も身体もゆっくりしてくる。イメージがたれもが日々、無意識のうちに描いているものであり、また、感情にも気分にも、体にも、強い影響がある。
化学療法を効き目のある治療としてイメージすれば、その効果に対する期待や信念がさらに生理的効果を増し、薬物による副作用を軽減するのにも役立つ。 視覚化イメージ(意識的と選択された「身体に対する意志の指示」)は、脳の視床下部と脳下垂体を含む無意識部分に働きかけるメッセージの役割をする。自発イメージのほうは、夢がそうであるように無意識から意識へのメッセージである。
イメージは、視覚的であると同時に「筋運動的」かつ「感覚的」でなければならない。 脳中枢は、実際に知覚したものとイメージによるものとの区別がつかず、どちらにしても、受けた影響の大きさに対してのみ反応するものである。 痛みは、何か手当てをする必要があると私たちに気づかせる警告です。しかし、ほとんどの痛みは、恐怖や緊張に対抗しようとする感情です。
痛みでより緊張し、それに逆らおうとすればするほどひどい痛みとして認識され、悪循環に陥ってしまいます。痛みとうまくつきあい、なかよくして、傷んでいる部分を実際に、あるいはイメージの中で見つけ、いやがらずに痛みを感じ、めんどうを見る。さらに、痛みのなかに自身が溶け込んでいき、それを拡散させる(ガスのように、そうすれば痛みはより希薄になってゆく)。
そして、痛みを別の感覚(たとえば温かみやぞくぞくするといった感覚)と変化させるのです。体は心にしたがうもので、心の中で描くイメージをもとに行動し、イメージが行動を引き起こす。 心の中にイメージを描く、心の力で自分の体をある程度コントロールすることができる。病気の治療に必要な要素は、生物的にも、心理的にも、自らに力のあることを感じる能力と克己心にほかならない。

「生きる」とは、心と体が密接に関連し、共鳴し、自分を律するセルフコントロール能力と意志力が病気の克服に影響する。
内なる態度「心のもちよう」をこそ変える必要がある。「自分のために何かができる」、「自分も治療に加われる」「自分の病気を治すのに、自分が何もできないと感じる必要はない」と悟り、大きな安堵感が得られる。自己の注意と努力を、現在と、これから何ができるのかに集中することです。
心と身体が密接に関係しあっていることについて、自らが気づき、自分の意志によって両者をコントロールし、心身双方の健康を確立する。病気になったこと自体にも自分が関係していたことに気づき、そこから根本的治療を施して、自己生長をはかるべきです。セルフコントロールこそ、治療の基本なのです。

人間は本来”科学”のみではとらえきれない統合的な「全人的存在」である。
人間が病気になること、ある症状を呈することは、「全人的存在」にむけての統合の過程での”不調和”の表れを意味する。すなわち、病気は”メッセージ”なのです。このことを受け止め、症状の消失にとどまらず症状をもたらした自分のあり方に気づくことが、まず大切である。病気になることは、無意識の否定的な部分を意識化させ、本来の自分に気づき、あらためて、新しい生き方を選びなおす絶好の機会なのです。たしかに病気は、一つの危機です。しかし、危機は、危険であると同時にいい機会でもあるのです。
私たちは、精神が肉体をコントロールできるし、生きる意志をもっている。それに愛という要素をつけ加え、愛と調和こそが治療の中身です。回復は、人生の一瞬一瞬が貴重であることに思いをいたし、自分が優先して行うべきことを考え直し、人間関係にもっと開放的になり、当然のように感じていた周囲の人々の愛や温かさに、より気づくようになることです。互いに助けあって、心配ではなく、心の平穏を、恐れではなく愛をえらぶように努めるべきです。
患者が、人生に興味をおぼえ、絵を描いたり、読書したり、音楽を聴いたり、詩を吟じたり、それぞれの趣味に興じ、先ず家族を安心させ、元気なようすを見せることこそが病気を治す第一歩である。そして毎日毎日を一生懸命に生き、一日一日が貴重になり、生活が楽しくなる。それば病気の克服である。